2019年10月28日
毎日がごきげんさん
皆さん、こんにちは。
赤ちゃんとお話しよう♪の
木村朋子です。
今日の空は
賑やかでしたね
見上げるのが
楽しい季節になりました
卑下したり
過小評価したり
みじめに思ったり
かわいそうと思ったり
自分を落とす思考って
気付いた時には
しっかりと身に付いていて
それが自分なんだと
思って生きてきたよね
で
ほんとにそうなの?
自分って
ホントに
可哀そうで
みじめで
ダメな人間なんだろうか?
昔
何かの話の流れで
「それじゃ、木村さんがかわいそうじゃん」って
言われた事があって
もちろん
私の事を思って言ってくれていたのは
分かっていました
けれど
言われた瞬間
「え?私って可哀そうなの?」って頭をよぎった
「私って可哀そうなんだ」
「私って可哀そうに見えるんだ」
そんな事がグルグル…
現状が
自分が創ったものならば
これは
「可哀そうな私」が創られていることになる…
今
自分を落としている事
これは
子ども時代に
親をはじめ周りの大人たちとに関係や
兄弟姉妹との関係やらで
自分にレッテルを貼ってしまったけれど
心のどこかで
誰かのせいでそうなったっていう思いが
大部分を占めていて…
確かに
幼かった自分が
そう思わざるを得なかった状況で
それ以外を選べただろうか…
例えそうであっても
可哀そうな自分
ダメな自分
みじめな自分を選んだのは
誰でもない「自分自身」
子どもであっても
他に選びようがなかったとしても
「それを選ぶ」という作業をしたのは事実
で
それはもうずーーーっと過去の事
未だに握りしめている事
被害者の立場から抜けられないのは
誰かのせいで選ばされたという感覚
例えそうであっても
選んだ事は事実としてある
「選んだ」というカテゴリーに中に
含まれているというだけ
そこには
付随している関係者も
物語も
感情もない
ただそれだけ
帰り道歩きながら
そんな事を考えていて
「単に
選んだという事実があるだけか…」と
いつも大体
何か腑に落ちた時や
大きな気付きがあった時は
じわ~っと泣けてくるんだけど
今回は
それが浮かんだ時
とても静かになって
暫く沈黙…
感情すらなくて
ただ沈黙
不思議だった
「あれ?私泣いてないなぁ…」
エゴが降参した瞬間だったのかな…
「いや、でも…」っていう言葉が浮かんできたら
まさに
被害者の立場を確立しているってことかな
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